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help リーダーに追加 RSS 書物小評 アイヌと植民地に関する三作

<<   作成日時 : 2008/02/20 22:53   >>

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2月に入って、瀬川拓郎『アイヌの歴史』(講談社選書メチエ)、城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』(情報センター出版局)山路勝彦『近代日本の植民地博覧会』(風響社)の3冊を読んだ。
一昨年秋のアイヌ展開催にあたって、相当数のアイヌ関係書を読んだし、以前、私見で選んだ推薦書について書いたと思う。それに比しても、瀬川氏の今回の本は充実していた。『アイヌの歴史』と言いつつ、というよりも、『アイヌの歴史』と言うからこそなのだろうが、考古学調査の成果を博捜しながら、個別の自然環境条件を重視して、交易と「宝」の観点から、「擦文文化」「オホーツク文化」「青苗文化」といったグローバルな文化圏の変遷を追うことによって、「アイヌ」を自明とすることなく「アイヌ」に迫ろうとする意欲的な試みである。この本はすでにしてアイヌの人びとについて考える必読書であろう。あとは、専門に研究している他の方々の反応や批判がどう行われるのか、そのうえで、例えば、財団法人アイヌ文化振興研究推進機構の「公式見解」にどのように反映されるのか、近いところでは、著者の勤務先である旭川市博物館の展示リニューアルにどのように反映されるのか、今後の行方を見守りたい。
「日本生まれの中国残留孤児二世」の城戸氏の本は前半の父のストーリーと後半の城戸氏本人のストーリーの大きく二部構成となっている。もとより、中国残留孤児である父のストーリーは厳しく重いのだが、ノンフィクションやドキュメンタリーというよりも小説的なスタイルが私にはなじめなかった。それがよいという人もいるかもしれないし、好みの問題と言われればそれまでかもしれないけれど。その点、著者自身のストーリー、彼女自身の中国留学体験、父の軌跡をたどる旅、残留孤児訴訟との関わりなどを記した後半部分は充実度が高い。著者の家族や中国の「親戚」、訴訟関係者との交際が具体的に語られることによって、「歴史に向き合う」ということはどういうことか、いかに可能かということを考えさせる。それはとても難しく、時間のかかることであるが、突拍子もないことではない、すぐれてまっとうな姿勢である。なお、大連で満鉄のマーク入りのマンホールを目にしたことが「歴史と向き合うきっかけ」となったというくだりは、個人的には琴線に触れた。中国東北地方の都市に満鉄のマーク入りのマンホールが残っていることは知っていたが、私は瀋陽で実際に目にすることができた。歴史研究者であるから著者のような体験にはならなかったが、それでも何とも言いようのない感慨を覚えたものである。
アイヌ展が終わってもアイヌや北海道に対する感心は衰えないし、中国東北地方などの植民地に対する感心も、仕事として以上に、高い。語弊はあるが、もはや「趣味」に近いかもしれない。そういう私にとって、山路氏の本は書店で目にした途端「買い」であった。同書は植民地を紹介する展示を行った「内地」の博覧会から筆を起こし、朝鮮・満洲・台湾で開催された主要な博覧会(共進会を含む)をとりあげているが、期待が大きかった分、また、私の関心が高い分、内容には不満が残った。それは何故か。特定の博覧会を掘り下げるということでもなく、だからと言って、内地・外地を問わず「植民地博覧会」を網羅するわけでもない(せめて巻末の年表は「網羅的」であってほしかった)うえに、記述がやや印象論的なきらいがある。大正期の植民地博覧会と昭和期の植民地博覧会を段階の異なるものとして評価しようとしているが、その相違は明瞭ではない。台湾博覧会の「熱狂」について鋭く指摘しているが、それについて「植民者の権威に対して民衆が勝利した瞬間であった」と述べるのはどうだろうか。…そうは言っても、植民地博覧会を単に否定的にのみ評価するのではなく、多様な意味を探ろうという試み自体は重要である。個人的には、満洲大博覧会や台湾博覧会に福岡市からどんたくが参加したことや、「台湾全島鳥瞰図」の展示が人気を呼んだことが紹介されていて、有用である。もっとも、吉田初三郎の名前が全く出てこないことは不満であり、残念でもあるが、それは私自身が調べるべき課題ですね。

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